あたしは父が商売人だった。(まだ生きてる
「川は浅く、用心は深く」が口癖、質実で堅く、生まれながらの貧しさによって令和とも思えないような倹約が身についてる人。
そんな父からは、人に金を貸すな、借金の保証人にはなるな、と言われて育ってきた。
そんなあたしは大人になり、人に金を貸すな、どうしても断れない時は言われた額の半分をくれてやれ、という言葉も知った。
若い頃、居所が定まらずふらふらしているような時、みゆき姉さんと知り合った。
ある時、深夜まで飲んでて、今日は行くあてがないと話してたら隣で飲んでたみゆき姉さんが拾って帰ってくれたのだ。
みゆき姉さんはとある九州の離島生まれ、なぜか久留米の文化街のスナックで働いてた。
あたしはしばらく姉さんの家に泊めてもらったり、店に遊びに行きがてら手伝ったりしていた。
昼まで寝てるあたしに姉さんは朝ごはん作ってくれた。
居候も1、2週間くらいだったと思うのだが昔のことなので定かではない。
それから数年ののち、あたしは独立しお店を持った。
そのお店はそこそこ繁盛し、街中では姉さんとすれ違ったり立ち話したり、時には店に遊びに行ってた。
姉さんは当時勤めてたお店のママが経営を辞められ、そこを引き継ぎママになっていた。
ある時姉さんから深刻な声で電話がかかってきた。
おおかたの予想はついていた。
たまに遊びに行く姉さんのお店はお客さんをちらほら見かける程度で売上は大丈夫かな、と心配してたのだ。
電話は想像通り10万ほど貸して欲しいという内容だった。
あたしは断るつもりはなかった。
姉さんには泊めてもらったり朝ごはん作ってもらったり、あたしは姉さんが大好きだった。
でもこのお金は返ってこないとわかっていた。
そして同時に姉さんとの縁も切れることも。
それでも姉さんを助けたかった。
きっと焼け石に水で、その程度のお金を貸してもどうにもなるもんではないと分かっていたけど。
姉さんのためにならないと思いながらも、あたしには断る選択肢はなかった。
だからあたしは昔聞いた通りに半分を渡した。
姉さんにはとてもとてもお世話になったからこれは差し上げます、と言って。
姉さんは、とんでもない!ちゃんと返すからね!ごめんね、と行ってあたしを見送った。
あたしは姉さんに手を振りながら、もうこれできっと姉さんとの縁は切れるなと悲しい気持ちで心の中でさよならを言った。
いつの間にかそのお店の看板にネオンは灯らなくなった。
若い頃から飲み屋しか働いてないから今さらもう何もできないよ、と寂しく笑ってた姉さんは、今どこかで幸せに暮らしてるといいな。
夜中にこんなこと思い出すのはあたしも年をとったのかな。