娘が学校に行かなくなった話~最終編~

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娘が学校に行かなくなった話⑪の続き

 

このブログの第1回目をfacebookに投稿したところ

たくさんの反響をいただき驚きました。

今、私がつながっている人たちも

不登校の時代を過ごし悩んだ経験のある方もいらしたようです。

皆さから頂いたコメントをこちらで紹介させていただこうかと。

 

私は不登校生でした。

現在は受け皿(お嬢さんの言われる通信制高校)もかなり整っているので、その選択肢もありですね!

生きていれば万々歳です。』

 

私も不登校で、高校は定時制&通信制の併修で卒業しました。

とはいえ、娘も小学生のときだけど学校にいかない時期がありまして。

親としては、心配ですよね💧
親の立場になって、思いました。
母も心配だったろうなと。』

 

『私の弟は不登校という言葉が無い頃(小学生で)やってました。

毎日 自宅屋根に登り時間を潰したとか 家族も気付きませんでした。

先生やクラスメイトが訪ねてきて気付いた次第です(後日談)

今は素敵な伴侶に出会い 子宝に恵まれ 幸せに生きてます。』

 

『うちの娘は今は関西の教育指導センター(適応指導教室)で先生してます』

文部科学省HP 不登校への対応について

 

うちの長女の、学校の友達も、不登校とか、保健室登校多いっぽいですよ。
でも、休みの日は一緒に遊んでたり、LINEで楽しそうに会話してたり…

今は違うなーって思います。
その先の受け入れ先も多いですしね。

私のすぐ上の兄は、今ぽい不登校でした。
高校半分ぐらいしか行かず、自主退学しましたが…
週4で高校の友達が遊びに来てた。』

 

『甥は保育園から筋金入りの不登校引きこもりでしたが、
突然エジプトの大学へ行き、政情不安で帰国、

大検からの北九州市立大学、で、2年で中退して、
今はインドネシアで日系企業で働いてます。奥さんは、インドネシアのお医者さん。
人生ってわからないですよ。』

 

私も高校不登校の時期がありましたが、親は必要以上に聞いてきたり、

無理に行かせようとしなかったり、行けそうな時送ってくれたり…。

きっといろいろ言われたらもっと不登校になってたと思います。

なので迷惑かけたり、心配かけたりしたけど、有難かったです。』

 

『学校自体、元々は自分が何で社会貢献出来るかを探し教わる施設でそのための学問だったのを

企業が学力で採用を判断し始め方向性がズレてきたのが原因で、

多くの子ども達が一流学校へ入るのが目標のゴールになってしまい、

入ったら自分を見失っているのをよく聞く。

そんな社会にしてしまった自分らにも責任はあるんだよね。』

 

『色々と考え1人で悩んだ毎日でした。
そんな時でもダメですね。

やはり息子が何かの被害者のように考えてしまうのです。
クラスの友人達がちらほら訪ねてはきてくれていたのと、休んでいても出歩くことはなく家にこもっていました。
毎日手を変え品を変え、優しくしてみたり、怒鳴ってみたり・・・試行錯誤の毎日でした。
実際、焦っていたのは母親の私だけでしたね。

当の本人は本格的な高校受験の直前から自分から登校を再開し、現在は社会人として働いています。』

 

 

こちらのコメントは

小児科医 田崎英範先生より。

不登校や子どもの教育に熱心に向き合われている先生です。

 

これからの通信制高校は、消去法で仕方なく選ぶのではなくて、

優位性でもって積極的に選ぶ時代になってくると確信しています。

あと数年もすれば、通信制高校出身の天才が多数出てくると思いますよ。

選択肢があることを知るだけでも子育てはかなり楽になると思います。』

 

『教育も仕事も多様化しています。
みんな一緒でそれが正解という時代ではないのでしょうね。
たとえ少数派だとしても、お子さんに合った教育や仕事を選ぶことの出来た子どもが幸せになれると思います。』

 

皆さんのコメントにも励まされました。

ありがとうございます。

学校生活に悩む親御さん・お子さんが少しでも救われるよう願っております。

 

最後に

長々とあたしの駄文をお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

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